• 目次
  • 1.小説を書こうと思ったきっかけ
  • 2.小説を書いてみての気づき
  • 3.小説の書き方や方法について

実際に小説を執筆しての感想

1.小説を書こうと思ったきっかけ

当記事では自分が小説を書いてみてのまとめをしたいと思います。普通に文学部の学生やプロの作家でなければ、なかなか稀有な経験かと思います。

僕自身は現在社会人三年目として普通に働いていますが、小説を書くきっかけもそれを読むきっかけと似ていて強烈なネガティブな哀しく苦い経験が発端です。

まずは小説を読む魅力を知りたい方は、まず以下記事を読んでもらってから是非戻ってきて下さいね。記事は焦らなくてもどこにも行きませんから。(※いきなり伏線)

小説を書くきっかけは、あまりそのことを具体的に振り返るのはここでは憚られるので、簡単にいうと「失恋」でしてその発端は「自分の軸が不安定」だった時期でした。

約一年以上ほどお付き合いをしたのですが、僕の中では一年以上は初めてのことでそれ以前の僕は自分勝手に鼻を高くして天狗のように舞っていました。

つまりそれ以前の僕は「自信過剰」で、その当時の僕は逆に「自身不足」でした。

人間を営むってこう振り返ると面白いですね。

そこで浮かび上がった感情とか自分のはかなさとか経験を、簡単な言葉でなくて何か別で表現したいと思っていました。その結果ギターも買って練習したものの今は埃をかぶってしまっています。ただ、それ以上に物語は続きました、それが初めての執筆の始まりです。

言葉に簡単にすれば、それ自体の持つべき価値が薄れてしまうような気がしました。

それと伴って、映画や小説に触れる数が圧倒的に増えました。そうしていると自然と自分も書いてみたくなり、実際に執筆をしていると観たり読んだりしている時に変化に楽しみを見出しました。

以上のことをまとめます。

  • ■小説を執筆するきっかけ
  • ・とても強い負の経験をした
  • ・何をしてもおさまらない感情があった
  • ・色々な作品に触れる中で自分も書きたくなった

2. 小説を書いてみての気づき

正直書き上げた一作目はあまり読み物としては面白くないんじゃないかなという結果になりました。そして今は二作目を書いていますがそれらを通じて得た気づきをまとめます。

  • ■小説を書いてみての気づき
  • 1.一人称で物語を進めるかなどで大きく変わる
  • 2.フィクションとリアルの融合が難しい
  • 3.言葉にしすぎると陳腐になる

1. 一人称で物語を進めるかなどで大きく変わる

これは「僕」主体にするか、それぞれ他人のような語り口にするかで大きく変わるということです。一作目は初めは、一人称ではなく主人公に対して「彼」という形で物語に召喚させていたのですが、あまりにも自分色が強すぎたので違和感をおぼえ「僕」である一人称に変えました。

それぞれのスタイルには良い点と悪い点がありますが、「僕」「私」などの一人称はより主人公目線で描かれるので、「自己内省」の心理的描写の観点が多いものには相性がいいなと思いました。

小説を読む時に意識すると作者ごとに得意不得意が見えてきます。本当に著名な方は自分の腕を試すように色々なスタイルで作品を残されています。

2.フィクションとリアルの融合が難しい

「人間失格」を読んだ時は衝撃でした。そしてその後沢山の小説に触れて、その作品は色あせるよりかその存在をさらに濃いものにしています。

その理由はリアルを描いている点になります。僕自身実際に書いてみて思ったのが、他の人に読んでもらう前提で自身の深い深い闇のような部分をさらけ出すというのは正直勇気が必要で恐怖でもあるとうことです。もちろん現実面仕事もしているので、、笑

一方でフィクションの場合は綺麗に物語が作りやすく自身の羞恥心をあまり出さなくて良いので安心である反面、感情移入が難しいので相当の客観性と洞察力がないと難しいなと思います。

例えば、それは僕が女性を主人公にして細かい描写をするようで、それには徹底的な聞き込みが必要なんだろうなと思いました。

とにかくリアルには思いの外勇気が必要です。ただ、読者に「どこまでがフィクションだ」と想像してもらうのは「小説である醍醐味」だなと僕は思いました。

3.言葉にしすぎると陳腐になる

小説でとりわけ良いのは描写が巧みなことだと思います。それを丁寧に言葉にしすぎると正直陳腐なものになると僕は実感しました。それは所謂「読者の読むことに対する余白を奪っている」ことになると思いました。

例えば、
「自分は病んでいる」ということを伝えたい時に、

▼表現例
・自分は病んでいる
・お酒を飲む量が次第に増えてきている
・友人からの誘いが一切なくなった
・部屋の中にガラクタの山と少し液体の入ったグラスが散在している

上記のように幾つも書けますが、一番目が多すぎると読者は退屈してしまうだろうと思います。やはり読み物は想像してなんぼという印象があるので間接的に伝える表現は、そのキャラクターの像を色々な描写で浮き彫りにしていくのでその点は注意すべきだと感じました。

3. 小説の書き方や方法について

今までの内容いかがでしたでしょうか?このタイトル負けしてしまうそうですが、今後の自分や読者の方に向けて本気で書きます。

このブログもそうですが、やはり「読んでもらう」という前提を持つことが重要だと思いました。そうでないと日記のようになってしまい作品として面白いとなりません。

そのため、「映画化までもっていく」というくらいの気概で映画になったらどうなるだろうくらいの想像が出来る作品を作り上げたいと思っています。

そして最後に何より大事にしたいのは「自分の本当の気持ち」や「人の潜在的な不安の代弁」など、作り上げたものでなく僕自身もリアルと向き合いたいと思っています。

そこに小説の最大の魅せ場であるフィクションで巧くスパイスを加えて完成させたいと思います。読者の皆様のあらゆる経験は捉え方によっては全て文学に出来ます。僕は小説執筆をきっかけに、負の感情こそ小説の大きな推進力になると感じております。

そこを自分自身の力で現実を打破できれば最も良いのですが、この世には人の死のように変えられないことも実際にはあることも事実だと思います。しかしフィクション要素を加えることで、その暗い部分に少し彩りを持たせられたりするかもしれません。

そして明るい部分に対して警告として暗い影を設けることも可能です。

是非そんな気持ちで書き手も同時に想像して読んでみたり実際に書いてみて頂けると面白みが増すんじゃないかなと思います。

最後に以前大の本好きの方が仰っていたことがとても響き、そしてその要素を前回の「小説の魅力」の記事に入れられてなかったのでそれでシメます。

本を読むことをその背景の思想を自分で想像して考えること。
読むだけでなく実は考えていることが重要なんだよ。
  • ■自分に向けた重要事項
  • 1.読者に読んでもらうことを想定して書く
  • 2.「映画化出来る」というくらいの物語性も意識
  • 3.リアルから必ず背かないこと

是非文学を好きになってください。
何かご相談があればTwitterなどでDM等頂ければと思います。

というわけで以上です。
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